舞阪町紹介

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北雁木
北雁木

東海道五十三次の宿場町・舞阪。「今切の渡し」の渡船場跡の常夜燈と石畳が往時のたたずまいをしのばせています。渡船場は利用する階層によって分かれ、北雁木は諸侯用、中(本)雁木は武家用、南雁木(渡荷場)は庶民や荷物の積み降ろしに使用されました。


舞坂宿脇本陣
舞坂宿脇本陣

天保9年建築の旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されていた。旧東海道では唯一とされるこの貴重な脇本陣を後世に伝えようと平成9年に復元されました。

[関連リンク]舞坂宿脇本陣(浜松市サイト内)


一里塚跡
一里塚跡

一里塚は道路標識の役目を果たすとともに旅人の休息の場にもなっていました。舞阪の一里塚は江戸日本橋から数えて67里(約268m2)。明治の初期までは5間四方(約80m2)の塚の上にひと抱え半もある大きな松が枝を四方に茂らせていたということです。


見附石垣
見附石垣

江戸時代中期に構築。「見附」は見張番所があった所。諸侯の通行の際などには、石垣の横に番人が立ち、人馬の出入りを監視するとともに治安の維持にあたりました。この付近の地名を「棒鼻」といいます。


旧東海道松並木
旧東海道松並木

江戸幕府が慶長9年に街道の両側に松や杉を植えさせたことに始まります。正徳2年には見附石垣から村境まで、道の両側の堤に1420本の松が植えられていました。現在、340本。約700mにわたって松並木が続いています。


うなぎ観音
うなぎ観音

浜名湖うなぎ養殖のシンボル「うなぎ観音」。花崗岩製で身の丈3.3m、重量6.8トン、地上からの高さは8m。うなぎの霊の冥福を祈願するため浜名湖畔に建立されたもので、慈悲深いお顔はうなぎの稚魚メッコ(シラスウナギ)が遡上する今切口の方角を向いています。


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